本展は、武者たちの物語を描いた浮世絵=武者絵と、武者絵と共通のイメージがデザインされた鐔、
そして刀剣を通して、英雄たちが大活躍する物語を、時代に沿ってたどっていきます。
歌川国芳 「武勇見立十二支 辰 素盞雄尊」
天保13年(1842)頃 William Sturgis Bigelow Collection
神代とは神が治めていたとされる時代で、日本神話では、天地開闢から神武天皇の前までの時代を指します。神代の物語は古事記・日本書紀、各地の風土記などによって伝えられており、天照大神、素戔嗚尊などの神々ばかりではなく、天皇や地方の豪族などの各種の武勇譚が伝えられています。18世紀以降、さまざまな時代の武勇譚を集めた武者絵本が出版されるようになると、神代の豪傑たちの姿は武者絵本の中に描かれるようになりました。素戔嗚尊の八岐大蛇退治は、神社に奉納された絵馬扁額にもよく描かれています。

素戔嗚尊は天照大神の弟。粗暴なふるまいのため、高天原を追放され、出雲の簸川の上流で、アシナヅチ、テナヅチという老夫婦に出会う。二人は娘のクシイナダ姫を八つの頭と八つの尾を持つ八岐大蛇の生贄に差し出さなければならないと嘆き悲しんでいた。素戔嗚尊は八つの酒甕を用意させ、八岐大蛇を酒に酔わせて退治する。そして、八岐大蛇の尾の中からアメノムラクモノツルギという剣を得、救い出したクシイナダ姫を妻とした。
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スサノオは出雲で困っている老夫婦
と娘に出会う。
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八つの頭と八つの尾を持つヤマタノオロチに、
娘をさしださなければならないという。
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スサノオは八つの酒甕を用意させ、
ヤマタノオロチを酒に酔わせる。
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ヤマタノオロチを退治したスサノオは、
その尾から「アメノムラクモ」の剣を得る。
平安時代の10~11世紀には、武芸に秀でた武士の集団が形成され、ことに清和源氏、桓武平氏の二つの武家が大きな力を持ちました。清和源氏の三代目源頼光には、土蜘蛛退治、大江山酒呑童子退治、市原野の鬼童丸退治などの武勇伝説が伝えられています。その家臣である渡辺綱、坂田金時(幼名は金太郎・怪童丸)、碓井貞光、卜部季武たちは頼光の四天王と称され、四人のそれぞれにも武勇譚があります。
歌川国貞 「渡辺ノ綱 坂田金時 平井保昌 源頼光」
文化12年(1815)頃 William Sturgis Bigelow Collection
「土蜘蛛退治図鐔 銘 松涛軒吾竹貞勝」
明治時代(19世紀) Charles Goddard Weld Collection

源頼光が病に伏せていたある晩、正体のわからない怪僧が現れ、病の原因は自分の仕業だと言い放つや、七尺ばかりの蜘蛛となって千筋の糸を投げ掛けて頼光をからめとろうとした。頼光が枕元の太刀、膝丸で斬りかかると化物は姿を消したが、家臣の四天王と平井保昌が血の跡をたどり、古塚にいた土蜘蛛を退治する。
歌川国芳 「源頼光」
文政3年(1820)頃 William Sturgis Bigelow Collection
「大江山図鐔(小) 銘 起龍軒美盛」
明治時代(19世紀) William Sturgis Bigelow Collection
「大江山図鐔(大) 銘 起龍軒美盛」
明治時代(19世紀) William Sturgis Bigelow Collection
「太刀 銘 安綱」
平安時代(11世紀) William Sturgis Bigelow Collection

源頼光と家来の四天王・平井保昌たちが、都の姫たちをさらっていく丹波国大江山の悪鬼、酒呑童子を退治する話。頼光の一行が山伏姿で大江山に入ると、住吉・熊野・八幡三社の神の化身である三人の翁に出会い、人間には薬になるが鬼には毒となる神便鬼毒の酒と星兜を賜る。酒呑童子の住家に着いた一行は鬼達に酒宴でもてなされる。酒呑童子が酔いつぶれると、頼光たちはその首をはねて退治する。酒呑童子の首ははねられて尚、頼光の頭に食い付くが、頼光は神に賜った星兜のお蔭でことなきを得る。酒呑童子は、昼は童形垂髪の人間の姿で、夜になると二丈余りの鬼の姿を顕したという。
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酒呑童子を退治するため、
頼光と家臣の四天王たちは
山伏の姿に身をやつして大江山に入る。
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途中、住吉・熊野・八幡三社の
神の化身である
三人の翁たちに会い、
鬼には毒となる酒と星兜を賜る。
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酒呑童子の住み家にたどり着いた
頼光たちは、
鬼たちに酒宴でもてなされる。
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頼光達は、
酒で酔いつぶれ鬼の正体をあらわした
酒呑童子の首をはねて退治する
保元の乱(1156)、平治の乱(1160)を経て、平清盛が武家政権の礎を築き権勢を誇りましたが、治承4年(1180)以仁王の反乱に応じて源頼朝が挙兵、文治元年(1185)に平家が壇ノ浦の戦いで滅ぼされるまで、源氏と平家の間で多くの戦いが繰り広げられました。この間の物語は『平家物語』『源平盛衰記』などの軍記物語によって語られており、武者絵の画題として大きな割合を占めています。
源平の各武将にはそれぞれの活躍場面がありますが、中でも源義経は、牛若丸の名の幼少の頃からさまざまなエピソードが絵画化されています。
歌川国貞 「武蔵坊弁慶 御曹子牛若丸」
文化10〜11年(1813–14)頃 William Sturgis Bigelow Collection
「橋弁慶図鐔」
江戸時代(19世紀) William Sturgis Bigelow Collection

薄衣を被ぐ牛若丸が京の五条の橋にさしかかると、かねて千本の太刀を奪う願を立てていた荒法師弁慶が牛若丸の太刀に目をつけて戦いを挑むが、身軽な牛若丸に翻弄されてついに屈服して、牛若丸と主従の盟を結ぶ。
『曽我物語』は、父を殺された曽我十郎祐成と曽我五郎時致時致の兄弟が、十八年間の苦難に耐え、建久4年(1193)5月、源頼朝が催した富士の裾野の狩場で父のかたき工藤祐経を討ち果たすまでの物語。
歌川国貞 「源頼朝公富士之裾野牧狩之図 三枚続」
文化10年(1813)頃 William Sturgis Bigelow Collection
「富士裾野巻狩り図鐔 銘 寿親」
江戸時代(19世紀) William Sturgis Bigelow Collection

源頼朝が建久4年(1193)5月に行なった富士の裾野での大規模な狩猟。曽我兄弟が本望を遂げたのもこの時である。狩の最中、傷ついた巨大な猪が頼朝の近くに駆けてきたが、仁田四郎忠常は後ろ向きに猪に飛び乗り、腰刀を猪の胴に突き立ててこれを倒した。
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父、河津祐泰が殺された後、
幼い兄弟は曽我太郎の養子となり、
仇討ちを志して成長する。
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18年後、曽我十郎と五郎は、
富士の裾野の狩場で
ついに敵の工藤祐経を討ち果す。
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兄の十郎はその夜、
源頼朝に仕える仁田四郎に討たれた。
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弟の五郎は、
女物の薄衣を被った御所五郎丸に
背後から組み付かれて、
捕えられ誅された。
『太平記』は、鎌倉幕府の滅亡・南北朝時代の動乱などを中心に、主に14世紀前半の戦乱を物語る軍記文学です。浮世絵では、合戦の様子よりも、楠正成、その子楠正行、新田義貞、後醍醐天皇の皇子であった大塔宮護良親王など、南朝方の忠臣のそれぞれの挿話を画題とするものが多く見られます。楠正成は湊川の合戦で討死しましたが、後に怨霊となって大森彦七を襲ったという怪異な伝説が伝えられており、初期浮世絵の時代から描かれています。
歌川国貞 「大森彦七」
文政11〜13年(1828–30)頃 Bequest of Maxim Karolik
「大森彦七図鐔 銘 浜野矩隋」
江戸時代(18世紀) William Sturgis Bigelow Collection

大森彦七は、祝の猿楽に向かう途次、若い女に出会い、山道は難儀であろうと女を背負って歩く。半町ばかり歩くと、この女房は俄に八尺ばかりの鬼となって彦七に襲いかかった。彦七はこの化物と取り組んだが供の者が近付いてみると化物はかき消すように失せてしまった。この化物は実は楠正成の怨霊で、足利尊氏の天下を覆すために彦七の持つ宝剣を狙ったのであった。
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大森彦七は猿楽の興行に行くため、
山道を歩いていると、美しい若い女に出会う。
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不思議に思い声をかけると、
女は道がわからず困っていると言う。
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彦七は、山道は難儀であろうと
女を背負って歩く。
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しばらく行くと、女は急に
鬼の姿となって彦七に襲いかかるが、
彦七が組み付くと鬼女は消えてしまった。
歌川国芳 「川中島信玄謙信旗本大合戦之図」
弘化2年(1845)頃 William Sturgis Bigelow Collection
川中島は現在の長野県の東北、犀川と千曲川の合流する付近で、天文22年(1553)から永禄7年(1564)の12年間に、ここで越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄との戦いが5回行われたといわれています。謙信と信玄の一騎討ちは、初期浮世絵の時代から、最も多く描かれています。

謙信は白絹で頭を包み、月毛の馬に乗り、太刀を抜き持って信玄の旗本に一文字に走り寄った。信玄は太刀を抜く隙もなく、床几に坐したまま軍配団扇で謙信の太刀を受け止めた。
卍楼北鵞 「椿説弓張月 巻中略図 山雄(狼ノ名也) 主のために蟒蛇を噛んで山中に骸を止む」
天保11年(1840)頃 William Sturgis Bigelow Collection
19世紀になると、「読本」と呼ばれる伝奇的な長編小説が次々に出版され、さまざまな冒険譚が人気を博しました。天保(1830–44)以降、武者絵の題材は、それまでの『平家物語』『太平記』などの古典軍記物ばかりではなく、小説の登場人物を取り上げるようになりました。ヒーローたちが墨摺の版本から飛び出して、色鮮やかな錦絵の画面で活躍するさまに、人々は心を躍らせました。現代の漫画雑誌のカラー口絵のような感覚で喜ばれたのでしょう。

文化4~8年(1807–11)にかけて刊行された、曲亭馬琴作・葛飾北斎画の読本。保元の乱で敗れた鎮西八郎為朝は伊豆の大島に流され、勅命によって討伐船が大島に向かうが、為朝は九州に逃れる。平氏討伐のため、水俣から出帆するが暴風雨に遇い、琉球に漂着し、内乱の琉球の王女を助けて国を平定する。