鞍馬寺
父・源義朝を平家に亡ぼされた牛若丸は、鞍馬寺に預けられた。昼は学問を学び、夜は平家打倒を胸に烏天狗を相手に剣術の稽古に励んだ。
川上地蔵堂
牛若丸の守り本尊。
義経供養塔
牛若丸が7歳から10年間起居した東光坊の跡地。昭和15年(1940)建立。
本殿金堂
千手観世音菩薩、毘沙門天王、護法魔王尊が祀られている。
霊宝殿
牛若丸が拝んだといわれる国宝・毘沙門天三尊像のほか、源義経所用と伝わる太刀や甲冑が展示されることがある。
息つぎの水
牛若丸が東光坊から奥の院へと兵法修行に通う途中、のどの渇きを潤したところ。
背くらべ石
牛若丸16歳、奥州に下る際に名残を惜しみ、背くらべをした石。
木の根道
岩盤が固く地下に根を張れない杉の根が表面を這う。牛若丸が跳躍の稽古をしたといわれる。
僧正ケ谷不動尊
不動尊のある一帯は僧正ケ谷と呼ばれている。謡曲「鞍馬天狗」で天狗と牛若丸が出会った場所。
義経堂
義経公の御魂は鞍馬山に戻ったと信じられ、護法魔王尊の脇寺・遮那王尊としてここに祀られている。
牛若丸弁慶像
牛若丸が五条橋にさしかかると、千本の太刀を奪う願を立てていた荒法師弁慶が牛若丸に戦いを挑む。身軽な牛若は弁慶を翻弄、ついに弁慶は屈服し牛若と主従の盟を結ぶ。
平安時代の五条橋は、現在の五条橋より北、現在の松原橋である。
須磨寺
源範頼・義経の率いる軍は攝津国須磨の西方にある一の谷に陣を構える平家を攻めた。義経は須磨寺を陣地とした。
源平の庭
平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭。
庭前には「笛の音に波もよりくる須磨の秋」の蕪村句碑が、庭の角には弁慶が「一枝を伐らば一指を剪るべし」と制札を立てた歌舞伎「一の谷嫩軍記」に登場する「若木の桜」がある。
敦盛公首洗いの池
首実検の前に敦盛公の首を洗い清めたとされる池。
義経腰掛けの松
一の谷の合戦後、義経はこの松に座り敦盛公の首と笛を実検した。
平敦盛公墓所(首塚)
熊谷直実に討たれた平敦盛の菩堤を弔う為に建立。
宝物館
青葉の笛などの平敦盛公と源平ゆかりの宝物が展示されている。
宇治川/宇治川先陣の碑
寿永3年(1184)、源頼朝の軍と木曽義仲の軍が宇治川を挟んで対峙。宇治川合戦は、実際には現在の宇治橋よりも下流であったとされている。宇治川先陣之碑は宇治橋の東側、宇治川の中州となっている橘島に昭和6年(1931)に建てられた。
戻橋
ある晩、頼光四天王のひとり渡辺綱は戻橋で女に家まで送ってほしいと頼まれる。綱は女を馬に乗せるが、源氏の重宝「髭切」で女に化けた鬼の腕を切り落としたという。
戻橋は、延暦13年(794)に一条通り堀川に架けられ、現在の橋は平成7年(1995年)に架け直されたもの。晴明神社に平安時代の欄干の柱を使用した戻橋が縮小された形で復元されている。